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一月の「唄おう会」が開かれました 引用
2020/1/25 (土) 21:04:59 - 安福達男

令和2年(2020)1月23日(木) 恵寿友会関東支部「唄おう会」が横浜駅西口近くのカラオケ店「歌うんだ村」で開催。9名が参加。文珠川から2019年の会計報告があり、阿子島さんが得意の手品を披露、会の後には「銀座ライオン」相鉄店で8名がランチを共にして親睦を図った。その様子を添付の写真にしました。



エーッ、エクソンモービル代理店? 引用
2019/12/17 (火) 01:04:12 - 武藤義信

新宿7丁目、新宿文化センター近くの住宅街を散策していたら、「エクソンモービル損保ジャパン代理店」という表示の看板を見つけて、何だこれは、とびっくりして思わずパチリ。 家に帰ってググってみると、「エクソンモービル損保ジャパン」という会社はない。 これはエクソンモービルの代理店と損保ジャパンの代理店をやっています、という意味だと推測。 そういえば看板下のブロック壁はSSの囲い壁のように見える。 看板の主は「福智」となっているが、元エッソの代理店で熱烈なエクソンモービルファンかしらねぇ?  放っておいても実害はないと思うが、ちょっと気になるなぁ。 ExxonMobilの法務担当者が見たら目をむくのではないかなぁ?

12月10日 歴史散策会が旧東海道品川宿を散策 引用
2019/12/15 (日) 00:34:11 - 武藤義信

歴史散策会の12名は12月10日、旧東海道品川宿を歩きました。

量が多いので、訪れた場所・事物を列挙するだけにとどめます。

「品川女子学院中等部・高等部」:私立女子の中高一貫校。 衆議院議員漆昌巌の娘、漆雅子により創立。 島倉千代子、広末涼子、八木沼純子、桜田淳子、山口百恵などの有名人を輩出。
「問答河岸跡」:三代将軍家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が出迎えて問答した故事に由来。
「品川浦の舟だまり」:北品川橋近辺が「品川浦の舟だまり」として有名。
「利田神社(鯨塚)」:寛政10年(1798)に品川沖に迷い込み、品川浦の漁師たちに捕らえられた巨大鯨の供養碑。
「御殿山下台場(砲台)跡」:台場小学校となっている。
「土蔵相模跡」:水戸浪士が井伊直弼襲撃前夜に宿泊した妓楼の跡。
「台場横丁」: 御殿山台場へ下っていく横丁が台場横丁。
「品海公園」:「日本橋より二里、川崎宿へ二里半」の石碑がある。花壇にはかつて海岸線の土留めに使った石垣を利用。
「小泉長屋跡」: 今も小家屋が密集する路地。路地にはいくつかの井戸が残っている。
「虚空蔵横町」: 旧東海道から養願寺へ入る横丁。 養願寺の本尊が品川の虚空蔵。
「聖蹟公園(品川本陣跡)」:品川宿の本陣跡。 明治天皇東幸の際に行在所となった。
「品川神社」:文治3年(1187)創建、源頼朝が安房国の洲崎明神を勧請。
「東海寺と沢庵」:三代将軍家光が創建した万松山東海寺の開山に沢庵宗彰(1573〜1645)が迎えられた。
「品川硝子製造所跡地の記念碑」:東海禅寺大山墓地に向かう小道端に品川硝子製造所跡地の記念碑がある。 この土地・建物は明治41年(1908)に第一三共株式会社が購入し、2015年まで所有したが、2016年にJR東海がリニア新幹線の変電所用に購入。
「東海寺大山墓地」:開山した沢庵宗彰をはじめ江戸〜昭和にかけて活躍した偉人たちが眠っている。演歌歌手、島倉千代子さんのお墓もある。
「荏原神社」:品川の南の鎮守。
「問屋場跡地」:問屋場は宿場で最も重要な施設。 人馬の継立と飛脚が主業務。
「寄木神社」:江戸名所図会にも描かれている漁師町の鎮守。
「天妙國寺」:顕本法華宗寺院。徳川家ゆかりの寺院。
「品川寺(ほんせんじ)」:東海七福神の毘沙門天を祀っている。 弘法大師空海を開山として大同年間(806〜810)に創建されたという古い歴史を持つ。
「ジュネーブ平和通りの名前の由来となった鐘楼」:慶應3年(1867)にパリ万国博覧会に出品して返却時に行方不明となる。 その後、ジュネーブのマリアナ博物館で発見され、昭和5年に品川寺に戻る。
「旅籠 釜屋跡」:休憩所から旅籠に発達し、幕末には幕府御用宿となった。
「海晏寺」:建長3年(1251)に北条時頼が、鎌倉 建長寺の蘭渓道隆を迎えて開いたと伝えられるお寺。 岩倉具視、松平春嶽など幕末の偉人が眠っています。
あと、最後の土佐藩主、山内豊信(容堂)の墓所も予定していましたが廻りきれませんでした。

 昼食は、北品川商店街の中心部で、三々五々に分かれてとりました。 反省会に残ったのは常連の4名でしたが、来年度の散策会の方向付けなどを中心として、四方山話に花を咲かせました。 令和元年は、歴史散策会がスケジュールした8回の散策が全て実行できました。 次回散策は3月となります。(重富記)

古稀祝い御礼 引用
2019/12/13 (金) 00:28:29 - 竹中 芳樹

恵寿友会 西尾会長並びに役員ご一同様

本日は70歳古希のお祝いにカードと紅白のワインをお送りくださりありがとうございます。

昨年は、突然の病に見舞われましたがその後順調に回復をしております。

70歳の節目を迎え益々元気に頑張って行こうと思います。

本日は誠にありがとうございました。

竹中 芳樹

歴史散策会 変貌する下北沢を散策 引用
2019/11/14 (木) 22:07:46 - 武藤義信

歴史散策会の10名が11月12日、下北沢を散策しました。 雲一つない青空のもと、快適な秋の一日を楽しむことができました。 数か月振りに種田さんが顔を出され、賑やかな顔ぶれとなりました。

下北沢は現在大きく変貌しています。 このほど小田急線の地下複々線化が完了し、駅舎の改築も進んでいます。 地上線路跡の利用計画も併せて進行中で、今後の街の発展が楽しみなところです。

下北沢は若者にあふれる街ですが、それを目当てに古着屋が密集しています。「演劇の街」と呼ばれる所以となった小劇場の展開も、下北沢のもう一つの特長です。本多劇場(ほんだげきじょう)は、1フロア、客席数386席の演劇専用の民営劇場です。 本多劇場グループ代表の本多一夫氏により銭湯の跡地に、1982年11月に開場しました。 下北沢が「演劇の街」と呼ばれるのは当劇場の存在が大きく影響を与えています。 その他、ミニシアターの 「下北沢トリウッド」、老舗ライブハウスの 「下北沢ロフト」などが小劇場の発展を支えています。

その他、「カトリック世田谷教会」、「北沢タウンホール」(北沢区民会館)、「森厳寺(しんがんじ)」、「北澤八幡神社」、「代沢阿川家の門」、「東京聖三一教会(せいさんいちきょうかい)」などを訪ねました。

次回は12月10日(火)、旧東海道品川宿を散策します。(重富記)

写真展のお知らせ 引用
2019/10/12 (土) 18:31:53 - 西方忠男

私の所属する写真ワークショップグループ「チーム10」は活動10年目を迎えました。

下記の通り、写真展を開催いたしますので、ご高覧頂ければ幸いです。

期間:2019年11月6日(水)〜11月10日(日)11:00〜19:00(最終日は17:00迄)
場所:ピクトリコショップ&ギャラリー表参道

メインカット及びプレスリリースは以下の通りです。
https://www.pictorico.jp/press-release/detail/513/

地図は下記をご参照ください。
https://www.pictorico.jp/shop/

写真はDMはがきです。

歴史散策会が10月10日神楽坂を散策しました 引用
2019/10/11 (金) 21:03:25 - 武藤義信

歴史散策会は10月8日、神楽坂(かぐらざか)を散策しました。 参加者は14名とここ数か月では好成績で、やはり「神楽坂」という粋な地名に皆さんが引き付けられたのでしょうか?。

非常に沢山の場所を見学しました。 主なものをあげると・・・
赤城神社(隈研吾氏設計・監修)、パークコート神楽坂(隈研吾氏設計マンション)、「ラカグ」(新潮社の倉庫をリノベーションした商業施設;隈研吾氏設計)、新潮社本社、旺文社本社、「AYUMI GALLERY」(ハーフティンバー風の木造建築の1階にある貸キャラリー)、矢来能楽堂、小浜藩邸跡・杉田玄白生誕地(矢来公園)、園福寺、尾崎紅葉 旧居跡、芸術倶楽部跡と島村抱月終焉の地、白銀公園、地藏坂、光照寺(牛込城跡)、兵庫横丁、かくれんぼ横丁、芸者新道、本田横丁、寺内公園(行元寺跡)(じないこうえん)、見番横丁、アグネスホテル、若宮神社、ユ嶺坂、筑土神社、アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)等々です。

次回は11月12日(火)、多くの小劇場と古着屋で名高い若者の街、下北沢を散策します。

歴史散策会が横浜の歴史的建造物と展示を見学しました 引用
2019/9/13 (金) 01:31:56 - 武藤義信

7月8月とお休みした後の9月10日、歴史散策会の11人が横浜の歴史的建造物と展示を重富さんの案内で見学しました。
   
当日は、関東で最大級の台風(15号)の後の猛暑日で、日陰を探しながら歩き、冷房の効いた施設に入るとほっと一息つくような1日でした。 台風の影響で千葉方面の交通が乱れ、久方振りに参加予定の佐川さんが出席できなくなったのは残念でした。

午前中に @横浜みなと博物館、A日本郵船歴史博物館を巡ったところで昼食とし、午後は B横浜税関資料展示室(クイーンの塔)、C神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、D神奈川県警察本部交通管制センターおよびE開港記念会館(ジャックの塔)を巡りました。

何処も横浜散策の定番とされるところで、説明にあたるガイドさんは、要領よく短時間に盛りだくさんの内容を話してくれるので、数か所巡ると暑さもあって老人の頭は悲鳴を挙げそうになります。 その中で、県警でガイドを務めてくれた、美人で可愛いくて躾のよさそうな婦警さんは一服の清涼剤で、みんなが(男性はか?)元気になったようでした。

重富さん、お疲れさまでした。

6月11日 歴史散策会が豊洲市場を見学しました 引用
2019/6/15 (土) 16:57:14 - 武藤義信

 歴史散策会のメンバー13名が、6月11日、移転開業間もない豊洲市場を見学しました。 ゆりかもめ線の豊洲から2つ目、市場前駅に集合です。 梅雨のさ中ではありましたが薄日の指す快適な日和となりました。 山本さんが久し振りに参加され、賑やかな散策会となりました。

豊洲市場は、東京ドーム8個分、銀座の大部分がすっぽり入る大きさだそうです。 平日にもかかわらず、多数の外国人を含めて千客万来の大賑わいでした。 市場は取り扱う物と形態によって3つの街区に分かれています。 青果棟、水産仲卸売場棟、そして水産卸売場棟です。 築地市場と違って、見学者は売買取引の現場から隔離された2階の見学者用デッキ・通路から眺めるだけなので、ちょっと物足りない感もしますが通路の掲示板による説明で見学者の理解を深めようと努めています。 部外者に邪魔されないので作業能率や衛生面の向上も大きいのではと思われます。 水産仲卸売場棟の屋上に出ると、芝生を踏みながら東京港の景観を楽しむことができます。

みなさん楽しみにしていたお昼ですが、人気の店は待ち行列ができていて入れないし、空き具合とお値段に相談していくつかのグループに分散しました。 5人ほどは “鮨分” という寿司店に入りましたが、結構美味でした。(重富記)

5月14日 歴史散策会が竜閑川跡を歩きました 引用
2019/5/18 (土) 00:09:48 - 武藤義信

かつて、竜閑川(りゅうかんがわ)と呼ばれた掘割の跡を辿って歩きました。 この川は江戸の昔、明暦の大火の後に神田と日本橋の境に築かれた火除けのための土手を、掘割にして日本橋側と通水し、既にあった浜町掘と接続して大川(隅田川)へ流れる水運を提供していました。

第二次大戦後、瓦礫処理のため昭和23年(1948年)から埋め立てが始まり、昭和25年(1950年)には埋め立てが完了し、竜閑川は完全に姿を消しました。 現在では、竜閑川跡は巾1−2mほどの路地となっており、往時の水路の面影はほとんど残っていませんが、交差点名としてその名がいくつか残っています。 大和橋交差点(靖国通り)、鞍掛橋交差点(江戸通り)、龍閑橋交差点(外堀通り)、今川橋交差点(中央通り)などはすべて竜閑川にかけられていた橋の名前です。

竜閑川は江戸の神田と日本橋の境界を流れていたので、その跡地はそのまま千代田区と中央区の境界となっており、境界をまたがる施設の管理責任や住宅表示などにそれが反映されているのも興味深いです。
 昼食は、日本橋本町のうなぎ割烹「大江戸」本店で、10人全員が一寸した贅沢をしました。
 また、反省会には4人しか残りませんでしたが、人形町の蕎麦屋で次月のプランなどを話し合いました。 (重富記)

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